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加工された写真は写真なのか。

写真の理屈

デジタル技術が発達し、家庭でも簡単に写真の加工ができるようになりました。AdobeのPhotoshopなどでは、言葉を打ち込むだけでAIによりその場所に言葉の映像が自然な形で合成される機能まであります。デジタル技術が発達した現代では、精巧に加工された写真はその写真が本来のままの写真なのか、加工された写真なのかの見分けがつきません。海外の写真コンテストでも「加工された写真は写真なのか」という論争が起こったことがあるようです。ネットでもいろいろな意見が交わされているようですが「加工」と「調整」が一緒に議論されているような気がします。レタッチは概ね「調整」ではないでしょうか。

「加工」とは何か

まず「加工」という言葉の定義が曖昧です。明るさやトーンの調整は加工と言えるのか、女性の肌を滑らかに見えるレタッチは加工と言えるのかなど、「加工」の定義を明確にしないと議論する意味がないと思います。

個人的には、写真において「加工」と「調整」は違うものだと思います。トーン調節などをする「調整」は事実を変えず、被写体の見え方をより良くする作業であり、「加工」とは「手を加えることで本来なかった事実を作り出すこと」だと考えています。レタッチは「調整」の範疇ではないでしょうか。

例えば、野鳥の背景に写っている電線を消すとか、手前の枝をなくすとか、Photoshopを使えば簡単にできます。そうやって「細工」した写真も加工したことを告げなければ普通の写真と変わりません。しかし、その「細工」は異なる事実をつくりだしています。重要なのは「事実」かどうかではないでしょうか。ただ「調整」も度が過ぎると現実的でない写真になったりします。それを意図してやる場合はやはり「加工」になるのではないでしょうか。

「加工」された写真も写真の仲間に入れるのなら、いくらでも「良い写真」がつくれます。写真の技術よりも「加工」の技術やセンスが優れていれば苦労して撮影する必要がありません。

私はそういう「加工」された写真は「デザイン写真」だと思っています。要するに写真がデザインされているワケです。デザインというのは人為的に造形を行うことです。

「加工された写真」(=デザイン写真)は、商業的な場面でデザインの素材のひとつとして使う分にははまったく問題のないものだと思います。ポスターや広告などにデザイン写真を使っても、それは何かを伝えたり表現するためのひとつの要素にしか過ぎません。広告デザインのパーツとしての写真です。むしろできるだけの技術を使ってパーツとしての品質を上げるべきだと思います。

しかし、写真コンテストは写真そのものの価値を問うものですから、そこに「デザイン写真」は認めてはいけないものだと思います。あるいは、別部門を設けるべきものだと思います。しかし、その写真が「加工」されたものかどうかを見極めるのはほぼ不可能に近いです。また、レタッチも程度によっては加工的な範疇に入るものがあると思います。ですから出品者の良識に頼るしかないのかも知れません。仮に加工した写真を加工したことを伏せて写真として見せているのは、意図せずとも見る人を騙しているような面もでてきます。

何か楽しいか

撮影者が「加工」した写真を出品するのかどうかという良識は、撮影者のマインド次第なのではないでしょうか。本来の写真ではない部分のおかげで評価をもらって嬉しいかどうかということです。

そういう面で撮影というのはスポーツのゲームのようなところがあるかも知れません。「加工」(反則)を使わずどれだけ素晴らしい写真を撮影できるか。スポーツでは反則をして勝ってもそれは勝ちではありませんし、第一面白くない。ルールに則って戦うからこそ面白いわけです。
そういう面で、趣味の撮影でも同じではないでしょうか。加工するのが面白くていろいろ作るのは楽しみとして良いと思いますが、それはデザインを楽しんでいるのだと思います。

難しい判断

もうひとつ難しいのが写真自体は加工していないけど、比較明合成などで2つの写真を合成している例です。花火や蛍の写真で良く見かけますが、個人的にはあれも「加工」に入るのではないかと思います。

また、マルチストロボ(非常に短い時間で繰り返し発光できるストロボ)を使わず連写した複数の写真を合成して連続写真にしている場合も「加工」ではないでしょうか。両者とも合成によって「本来なかった事実を作り出している」からです。

ですので、そういった写真が写真コンテストで一般写真と同じ土俵で評価されるのは違うなあと思います。そういうコンテストに加工部門をつくるべきではないでしょうか。

長時間露光による夜景は一瞬加工しているように見えますが、長時間露光という手法(シャッタースピードが極端に遅いだけ)で事実を切り取っているだけなので、立派な写真だと思います。

しかし、マルチストロボで撮影した「写真」と連写したカットを合成した「合成写真」は見た目には同じです。難しいところですね~。さらに二重露光と2枚の写真の合成とどう違うのだという見方もあるでしょう。難しい。カメラによっては二重露光ができるので、それは合成ではなくカメラの機能で撮影したものです。難しい。また、フィルム時代にも覆い焼きや印画紙への多重露光などのテクニックもありました。あれはどう考えるか・・・・・難しいですね〜。

楽しいかどうか

とにかく商業写真は別にして、趣味の写真では「楽しいかどうか」が重要だと思います。野鳥などの撮影で、手前の枝被りなどは、Photoshopで消せたりしますが、個人的にはそれをやっても面白くないです。「あ~、残念。またのチャンスを」って思う方が楽しいです。撮影に出かけるプロセスも含めて楽しいわけですしね。

繰り返しになりますが、商業利用ではアリだと思います。枝被りさえなければ素晴らしい写真になるものを枝を取り去ってきれいなカタチにするのは、例えばカレンダーなど商業的な使用には良いと思います。写真の内容自体にはあまり意味がないですし、おそらくそれは季節を表現する写真として使ってあるでしょうし、そういうデザインを提供するわけですから。

写真撮影は、思うように行かないのも含めて楽しいのだと思います。趣味なのでそこを楽しまなければ時間がもったいないなぁと個人的には思います。

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